開け放たれた列車の窓から 香り立つ由布院の風が 車内をそよいで行きます。

春夏秋冬 移ろう季節の中で 赤、白、黄色の 色とりどりの列車が隣町の風と香りを運んできます。 ちょっと一休みしませんか。

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穀雨・廃車回送・春時雨

平成22年4月19日撮影  

 

 牧駅、それは、日豊本線の大分駅から下り方向一つ目の、大分車

センターに隣接する駅で、車両センターに配属された列車達を、

日身近に見ることのできる駅でもある。

 その一面一線の牧駅のホームの直ぐ横に、大分車両センターの留

置線があり、そこに、赤い色した2両一組の編成が4編成程、普段

は止められたままの状態で配置されている。

 それは、多客期に大分以北で臨時列車として運用される、485

系交直流電車の増結用として配置される、モハ485とモハ484

という2両で一組の、中間電動車の編成である。

 お盆や正月、ゴールデンウィークには、大分、小倉間を5往復程

の485系を使用した臨時特急列車「にちりん」号が運用されてお

り、普段は3両や5両編成で運用されているのだが、この時期各編

成の中間に増結されて、5両と7両のカラフルな編成となって大分、

小倉間を行き来している。

 しかし、臨時列車として増結して運用される「にちりん」は、大

分、小倉間5往復の内2往復しかなく、しかも、日豊本線の大分以

北は、883系と885系が運用に就く特急ソニックの独壇場で、

臨時列車として1年の内に20日程しか出番の無い、モハ485と

484の増結用編成は、4編成ある内の2編成のみが多客期に運用

に就いているだけであり、残りの2編成は活躍の機会と場所が無い

といった状況が続いていたのである。

 そんな、側線に留置されたままの活躍する事の無い2両一組の2

編成は、年を経る程に鮮やかな赤い色から、ピンクがかったくすん

だ色へと変色し、所々で塗装の剥がれる錆びの浮き出た痛々しい状

態であった。

 その痛々しい状態の2編成が、この日、回9530列車として、

ED7694に牽引されて小倉工場まで回送されて行くというので

ある。桜の花も散り始め葉桜に変わろうとする、この日、変わり易

い春の天気を象徴するかの様な、今にも曇天の空から花ちらしの雨

が落ちてきそうな、どんよりとした空模様であった。

 この廃車回送列車は、大分車両センターを11時49分に出場し、

大分駅11時54分発、西小倉14時39分着の小倉工場まで回送

されて行くスジで、廃車される2編成とは、モハ485-192と

モハ484-294の一組と、もう一組は、モハ485-197と

モハ484-299の編成であった。

 その本線上走る最後の姿撮ろうと、撮影場所を杵築の手前、第6

八坂川橋梁に決めて、今にも降りだしそうな鉛色の空と、染まる海

を見ながら、街道に車走らせる。途中の田んぼに咲く灰色した蓮華

草を見ながら着いた第6八坂川橋梁の築堤は、菜の花も盛り過ぎよ

うとする季節の狭間の中で、灰色の静寂の淵に漂泊しながら静かに

浮かんでいた。

 その築堤の先にある誰も居ない静寂の灰色景色に染まる高台の上

で一人、杵築着12時28分の回9530列車を待つ。曇り空から

降り来る辺りを支配する灰色景色に同化する無言の時間が、吹く風

に菜の花とかすかな雨の匂いを溶融させて、高台の上に待つカメラ

持つ人をじわじわと侵食する。

 寄せ来る惜別の波間と、静寂の時の流れに揺られる頃、彼らの最

後の走行に合わせるかの様に、今にも泣きだしそうだった鉛色の空

から、こらえきれない雨粒が静かに落ちてきた。

 そんな、こらえきれない春の雨に濡れる鉄路の上を、赤い電機に

牽かれて回9530列車は定刻にやってきた。くすみ傷んだピンク

色の肌を隠すかの様に、最後の花道を花の雨の滴を身に纏い、くす

んだ車体を花雨化粧で濡れ輝く赤い色に染めながら、楚々として、

そして、粛々として通り過ぎていった。

 走り続け活躍した歳月を、カメラ持つ人にそっと伝え教えるかの

様に。

 彼らを撮り終えた帰り道、牧駅の横の同僚たちの居なくなった留

置線の上では、残るモハ485とモハ484の2編成が、残り少な

くなった僅かばかりの出番を待ちながら、降りしきる雨の中で静か

に濡れていた。

 昭和を走り抜けた列車達が、積み重ねてきた多くの思い出を胸に

仕舞いながら、人知れず鉄路の上から消えていく、涙雨に変わる今

年の穀雨の頃である。

 

 

 

 

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菜種梅雨・菜の花・別れ路

平成22年3月3日撮影

 

 弥生3月春の入り口は、昼間を暗くする空を覆う雲間に、閃光と

雷鳴を鳴り響かせ、激しく降る雨は草木に芽吹きを教える春の入り

口とは名ばかりの、街を灰色にする春雷の一日で始まった、

 この時期は卒業や転勤といった、日常生活の中に変化のある季節

でもある。そんな街中の変化の季節に呼応するかの様に、大分地区

を走る気動車にも変化があった。

 それは、今年の一月も後半になろうかという頃、普段目にする見

慣れた赤や黄色の車両とは違う、真新しい鮮やかな水色した車両が

一両、小倉工場から検査を終えて出場してきたのである。

 水色の車両といえば、シーサイドライナーとして長崎地区で活躍

する気動車の色であるが、その場違いな色した気動車が大分に来た

のである。

 聞けば3月のダイヤ改正時に大分車両センターから、長崎地区の

気動車の運用の幅を持たせるために、両運転台仕様のキハ220形

が、長崎運輸センターに2両転出し、208号はその内の1両で、

もう1両は209号車だといい、208号は3月3日の日に、そし

て、209号は3月12日に長崎に転出していくのだという。

 その長崎に転出して行く選ばれた2両の内の1両、208号が小

倉工場に検査入場し、検査終了と同時にシーサイドライナー色とな

って出場してきたのである。

 普段の見慣れた赤や黄色の車両とは違う、真新しい水色に包まれ

た208号が、大分地区を走るのは限られた期間であったが、巡り

来た春の色合いと相まって、新しい任務地に赴く決意を、瑞々しく

真新しい水色の輝きに代えて、車体の全身に漲らせていた。

 その溢れ出す輝きの中に、通い慣れた路を共に活躍した僚機達と

別れ去る寂しさが、花の芽呼ぶ春の雨に濡らされて、ふと顔覗かせ

るそんな表情も見せながら、通い慣れた豊後路を行き来していた。

 その新しい任務地に赴むく日が、咲き誇る沿線の菜の花がその芳

しき香りを辺りに漂わせる、雛祭りの3月3日であったのである。

 平野部に咲く梅の花も散り始める、その日、彼は走り抜けた豊後

路の日々を思い出すかの様に、瑞々しい水色を弥生曇りの空の下に

輝かせながら、「さよなら、長崎地区で頑張れよ」と、エール贈る

カメラ持つ人の前を、何処か寂しさも載せて、赴任地長崎に向けて

何時もの顔して走り去っていった。

 走り去った後、曇り空から春の雨粒が落ちてきた。この春、また

一つの思い出が走り抜けていく、旅立ちの鉄路である。

 

 

忘るなよ 薮の中なる 梅の花  松尾芭蕉

 

 

 

 

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雨水・ひなまつり・梅香る駅

平成22年2月19日撮影

 

 降る雪が雨に変わりだす頃を、暦の上では雨水といい、寒さも峠

を越えて春に向かう頃だという。

 今年は2月19日が雨水の候であるとカレンダーが教えるこの日、

あの国鉄色のキハ65と58がリバイバル急行「いなさ」「ながさき」

で走るために雨水のこの日、久大本線経由であの「あさぎり」と同

じスジで、長崎まで回送されて行くという。

 そんな懐かしい国鉄色の列車が、かって走り活躍した頃の姿を思

い出し、玖珠川橋梁渡る姿撮りたいと、第5玖珠川橋梁目指して街

道に車を走らせる。

 この日の朝は、小雪舞う風の冷たい日であったが、車の中ではし

ゃぎ遊ぶ、春の煌めきの悪戯に心和ませながら、車の窓の外に広が

る冬枯れ色の景色の中で、その悪戯な春の煌めき達に、里山のあち

こちに可憐に白く淡く花咲かせる、梅の花達の在りかを教えられな

がら走る、なんとも楽しい道中であった。

 そんな、心地よい冷たさの中でキラキラと輝く春達と、楽しい会

話しながら着いた、第5玖珠川橋梁の架かる玖珠川の川面も、冷た

さも峠を越えた風の中、緩やかな淀みの中で春待ち顔して煌めいて

いた。

 そんな、第5玖珠川橋梁を12時15分頃通過予定の、国鉄色回

9882D列車は、1,2分の遅れであったが、お昼過ぎに寛ぐ山々

に20数年振りの、国鉄時代の懐かしい景色を思い起こさせながら、

当時と何一つ変わらない、同じ顔して通り過ぎていった。

 あの頃と変わらない姿に感動と、やがて去り行くものへの郷愁を

覚える頃、ふと、夜明駅のあの木造の駅舎に会いたくなり、昼下が

りの街道を夜明に向かった。

 しかし、線路脇に咲く梅の花が香る夜明駅は、昭和7年に開業さ

れた当時のままの駅舎は取り壊され、新しい駅舎の基礎工事が始ま

る、プレハブの仮駅舎で営業する工事中の姿であった。

 古い駅舎の頃の懐かしい思い出が様々に思い出される頃、13時

3分着、13時13分発1849D列車久留米発日田行きの、キハ

2201504が、普段目にする姿と少し違う姿して入線してきた。

 それは、よく見ると車体前面の左下に取り付けられた、「日田天領

ひなまつり」と書かれた、梅の花に遊ぶ鶯の描かれた素朴で可愛ら

しいヘッドマークであった。

 聞けば、お雛様祭りで有名な久大本線沿線の、日田市とうきは市

の両市で開催中の「おひなさまめぐり」に合わせて、その両市の高

校生が描いたヘッドマークであるという。

 各々、3枚の絵を描き一日数回、普通列車に取り付けて走らせる

計画で、ひな祭り期間中の3月31日まで運行するのだという。

 そんな、可愛らしいヘッドマーク掲げた「ひなまつりトレイン」

に奇しくも出会えたのである。

 国鉄色の過ぎ去り行くものへの悲しさと、古びた駅舎の回顧の思

いが、強くなる筈であったのに、この可愛らしいヘッドマーク掲げ

た列車に会うことによって、何故か、心和やかな、そして、穏やか

な時間が、柔らかな陽光差し込む仮駅舎の中に佇む、カメラ持つ人

の周りを支配していた。

 そんな、寒い冬も終わり、やがて、心華やぐ春に向かう季節を迎

えようとする、梅香る雨水の候である。

 

 

 

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国鉄色・郷愁・月明かり

平成22年1月29日撮影

 

 この日、それは、懐かしさと、そして、やがて消え去る寂しさを

暮れなずむ夕暮れ景色に載せて、冬茜に鈍く輝く鉄路の上を、郷愁

の色させて走り下って来た。

 北の国から送り届けられる冬便りは、テレビの映像だけが伝え教

える、街の路地裏に咲く早咲きの紅梅が、やがて来る春、立春を待

ちきれないかの様な、可憐な小さな紅色の装いして、冬枯れ景色の

元月を淡く仄かに彩る頃、数え切れない程の思い出を脳裏に甦えら

せる、その嬉しくて思いがけない便りは飛び込んできた。

 それは、あのトロQで活躍した、キハ6536とキハ58569

の2両の気動車が、国鉄時代の色に塗り直され、回9521D列車

として1月29日に、西小倉を15時2分に発車し、大分車両セン

ターに19時に到着するスジで、日豊本線を下って来るという話で

あった。

 冬とは名ばかりの季節の中で、街から望む山の稜線が、影絵のご

とく幾重にも朧に霞み折り重なる姿見ながら、旧国鉄色に塗り直さ

れた彼らの姿撮ろうと、17時半到着予定の杵築の大左右の直線に

車走らせる。

 ひと頃から比べて日の入りが遅くなったとはいえ、この時間帯、

辺りは薄暗くなり始める、撮影には少し不向きな明るさであるが、

延びる鉄路は夕暮れ時の薄い明るさ載せて、上下、4本の鉄路を、

これから始まる夢時間の中に、静かに浮かび上がらせていた。

 二十数年振りに会う懐かしい色達に、どんな顔して待てばいいの

だろうかと思案しながら、待つこと数分、彼らは薄暗くなり始めた

景色の中を、懐かしいクリーム色に朱色の帯を巻いて、辺りを昭和

30年代、40年代の、懐かしいあの頃の時間に染めながら、光る

二筋のヘッドライトを徐々に大きくさせて、塗りたての艶やかな色

して鉄路の上を走り来た。

 しかし、待ちわびた旧国鉄色との再会は、一瞬の懐かしささせ

てカメラのファインダーの中を、あまりにもあっけなく通り過ぎて

いった。

 普段と変わらぬ顔して彼らを迎える筈だったのに、二十数年振り

に見る懐かしい色は、どこか、儚なさと寂しさを漂わせる色だった

のである。

 国鉄時代、日本中の鉄路の上を走り回っていた、キハ65とキハ

58形の急行色が、JR九州では、今、目の前を走り抜けて行った、

この2両だけであるという現実が、懐かしさの向こう側にある、ど

うしようもない切なさと寂しさとなって、夜の帳と同時に色濃く漂

う頃、2月から8月迄の短い期間とはいえ、各地を走るであろう、

真新しい旧国鉄色を身に纏う彼らに、抑えようの無い寂しさ隠し、

残された僅かばかりの時間を「頑張れ」「元気に頑張れ」と、心の

中で声援を送り続けるカメラ持つ人の姿があった。

 そんな彼らに声援送る帰り路、鉄路の上には平成7年から、日豊

本線で活躍を始めた濃紺の振り子形特急電車883系が、東の空に

浮かぶ十四夜の月明かりを浴びながら、すっかり暗くなった鉄路の

上を、一条の窓明かり残して通り過ぎていった。

 そんな、懐かしさと、悲しさが同時に走り来た、月明かりに浮か

ぶ、今日の鉄路である。

 

 

 

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松の内・寒の入・国鉄485系交流電車

平成22年1月4日撮影

 

 日本列島を南北に縦横無尽に結ぶ鉄路の総延長は、およそ2万キロ

メートル。その鉄路の総延長のうち電化区間は、およそ9千9百キロ

メートルであるという。

 現在、鉄路の総延長の約半分が電化されているが、その電化区間で

も直流区間と交流区間があり、しかも交流区間には50ヘルツと60

ヘルツの区間があり、そのどの電圧、電流にも対応させて走るために

国鉄時代に開発された電車が、485系交直流電車である。

 新しい年の松の内の春隣りが、初商いの商店の玄関先に飾られた門

松の、赤い南天の実に顔を恥らい気味に覗かせる頃、初春の街に繰り

出す晴れやかな顔した人々の姿見ながら、この485系交直流電車撮

ろうと、日豊本線沿の杵築駅を過ぎた大左右の直線に向った。

 この485系交直流電車のルーツは、昭和33年に製造された、あ

のこだま形直流電車151系にあるのだが、全国の電源の違う電化区

間を津々浦々走らせる必要から、この485系は昭和43年から昭和

54年迄製造されている。

 電化された区間どこでも走る事のできる、485系交直流電車が特

急「にちりん」号として大分へ初めて顔を出すようになったのは、昭

和47年4月27日の事である。以来、485系交直流電車は始発駅

の変遷があるものの、日豊本線を代表する特急列車の一つとして、「に

ちりん」号は今に至っている。

 そんな、昭和33年に東京、大阪間を6時間で結ぶビジネス特急と

して、輝かしく華々しく、そして、威風堂々たる姿で颯爽と登場した、

当時国鉄の151系に始まる電車特急列車も、今では、民営化した各

社の新しい形式の特急電車に徐々にとって変わられ、日豊本線走る4

85系の特急列車は、平成20年3月15日からは、早朝と夜間、大

分と中津間走る1往復を除いて、別府以北を小倉まで定期運用で走る

485系を使用した特急列車は無くなっている。

 今では、別府と宮崎空港間を走る「にちりん」と、宮崎以南を走る、

「きりしま」と「ひゅうが」の3系列の特急だけである。ちなみに、

国鉄から分割民営化された昭和62年当時JR九州には、485系は

324両が引き継がれたというが、今では、大分車両センターの34

両と、鹿児島総合車両所の39両の計73両が配置されるのみである。

 そんな、活躍の場の狭められる485系交直流電車であるが、年末、

年始の旅行シーズンに臨時列車として、別府、小倉間を臨時列車とし

て5往復程運用に就いている。一部の区間を除いてほぼ全国の地方都

市を結んで走っていた、485系交直流電車。登場当時のカラーリン

グとは違うけれども、最後の製造年から30年以上経った今でも通用

する、その古さを感じさせない洗練された美しさと、機能美に溢れた

優美な姿を見せてくれている。

 そんな彼らも、九州新幹線博多開業と同時に全廃される予定だとい

う。どうか、その日の来る日が一日でも遅くなる様にと願うカメラ持

つ人の横を、臨時列車「にちりん」92号が、485系の独特のノッ

チオン時の衝撃音させながら、懐かしく聞きなれたモーター音残して

通り過ぎていった。

 そういえば、ED76形交流電気機関車の牽引する寝台特急「富士」

が廃止されて、そろそろ1年が経とうとする、明日は小寒という、初

春の柔らかい日差し中で、春待つ里の静かな松の内である。

 

 

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「あさぎり」・黄砂・年の暮れ

平成21年12月26日撮影

 

 先週の寒さが嘘のような暖かさの戻る年の瀬である。この日、一

つの懐かしくて、嬉しいニュースが飛び込んできた。それは、あの

トロQとして活躍した、キハ58569とキハ6536が、検査の

切れる来年8月までの間、車体の色を国鉄色に塗り直し、九州各地

で活躍した準急や急行の名前を復活させて走るという。

 その名前の中に、昭和34年から昭和61年まで、由布院から日

田英彦山線経由で門司港までを結んで走っていた、準急列車の名前

があったのである。

 そんな、懐かしい列車の名前を思い出しながら着いた由布の里は、

今年も後5日程になった小春日和の暮れ模様の中で、季節はずれの

黄砂が里の山々を霞ませる、穏やかな日差しに包まれて、ほんわり

仄かに揺らめいていた。

 揺らめく由布の里には、かって、北九州地区の門司港から由布院

を結ぶ、後に急行列車となる準急列車が走っていた。その列車の名

前を「あさぎり」という。

 この準急列車「あさぎり」は昭和34年5月に、日田英彦山経由

で門司と久大本線の天ヶ瀬を結ぶ列車として登場し、翌年の8月に

は下り列車は、由布院まで下ってくる運用となり、下り列車は門司

港発由布院行き、上り列車は天ヶ瀬発門司港行きという、終着駅と

始発駅の違う準急列車であった。

 ちなみに「あさぎり」で由布院まで下ってきた列車は、今度は、

博多行きの準急「ひこさん」と列車名を変えて、由布院から日田彦

山線経由で小倉まで走り、そして、鹿児島本線を経由して博多まで

行く運用であった。しかも、「ひこさん」という名前の列車は、上り

列車のみという運用の列車であった。

 登場当時は、キハ55形を使用した2両編成の列車で、その後、

キハ58と28形、そして、キハ66・67形へと使用する型式が

変更になっているが、当時、久大本線走る準急列車は、D60形の

蒸気機関車の牽引する客車列車の「ゆのか」のみで、初めて見るキ

ハ55形のディーゼルカーの列車は珍しく、当時、車体の色が黄色

で朱色の帯を巻いた明るい色の、時代の最先端を感じさせる列車で

あった。

 この季節、今では一六曲がりの鉄路の上を1両編成の列車が、や

がて来る春を待ち侘びる、菜の花の下萌の若葉に見送られながら、

短日の夕日に照らされて行き来する姿が当たり前になってしまった

が、その頃、2両の短い編成で、由布の里の一六曲がりの峠道を行

き来する姿は、当時見慣れた、煙を吐きながら峠道を上り行く長い

編成の客車列車とは違う、どこか、ユーモラスでスマートで可愛ら

しい姿であった。

 そんな、朝霧の立ち上る由布の里に走り来た、「あさぎり」という

名前の準急列車が、トロQとして活躍した、あのキハ58569と

キハ6536を使用して、来年の2月6日に24年ぶりに復活して

一六曲がりを走るという、懐かしくて嬉しい、どこか心和む、そん

な、懐かしい列車の走っていた事を思い出させてくれた、朝霧なら

ぬ季節外れの黄砂に霞む由布の里の、行く年、来る年の、長閑で静

かな、年の瀬模様である。

 

 

 

 

 

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惜別・キハ58569・キハ6536・そして、トロQ

平成21年11月28日撮影

 

 昭和30年代の半ばまで久大本線には、蒸気機関車の牽引する貨

物列車に客車を一両組み込んだ、混合列車と呼ばれる下り列車が走

っていた。昭和31年当時、由布院駅を13時45分に発車し、終

点の大分駅には15時52分に到着する、ハチロクの牽引する671

列車が運行されていた。

 由布院、大分間約42キロ程の距離を2時間7分掛けて走ってい

たのである。由布院駅から大分駅までの表定速度は、今では考えら

れない様な、凡そ19キロという速度である。

 もちろん途中駅での停車時間の長さゆえでの速度であるが、最速

のマラソンランナーと同じ位の速度で走っていたのである。現在で

は、同区間の各駅停車の場合の最速列車の評定速度は、48キロ程

であるから、当時、いかにのんびりとゆっくりと走っていたかが分

かる。

 そんな、蒸気機関車が全盛の頃の昭和39年の10月に、東海道

新幹線が開業し、東京、新大坂間を4時間で結ぶ、最高時速210

キロを誇る、0系新幹線電車「ひかり」号が営業運転を始めている。

 登場当時の評定速度は、なんと138キロであるから、その速さ

たるや驚きの速さであったと思う。その後、鉄路は速さと快適さを

競う時代に突入し、ちなみに現在では、東京、新大阪間を結ぶ、「の

ぞみ」号の表定速度は216キロ程である。

 また、昭和30年代当時、地方のローカル線の列車の無煙化を推

し進めるために、その役割を担わされたのが、キハ58系気動車で、

昭和36年から昭和44年までの間製造が続けられ、全国のローカ

ル線の無煙化に貢献し、鉄路の快適な旅を演出する立役者であった。

そんな中、キハ58569は、昭和39年に帝国車両で製造されて

いる。

 また昭和44年には、車両の冷房化によるキハ58系の出力不足

を補うために、大出力エンジンを搭載したキハ65系気動車が製造

され、キハ65系は、快適さと同時にスピードアップにも貢献する

気動車となって各地で活躍するのである。

 その後、全国津々浦々のローカル線の優等列車は、キハ58系と

キハ65系が急行列車としてその任務に就き、キハ6536は、昭

和45年に新潟鉄工所で産声を上げている。

 昭和40年代の初め、鉄路の高速化には新幹線車両の0系が、ロ

ーカル線の無煙化と快適化には、キハ58系やキハ65系気動車が、

それぞれの役割を担って活躍したのである。

 その後の鉄道の車両達は、時代の需要に合わせる形で、益々、快

適に、そして、より速くと進化と淘汰を繰り返し、現在の最新鋭の

各車両達に引き継がれている。そんな、鉄路の快適さに貢献した、

キハ58系とキハ65系も、進化する需要と、寄る年波に追いつけ

ずに段々と淘汰が進められ、JR九州でもその活躍の場が徐々に狭

められ、大分ではキハ58系は569が、そして、キハ65系は3

6が、それぞれ、唯一残る形で現役として活躍していたのである。

 それは、平成15年10月から土曜、日曜日と祝祭日、そして、

夏休みを主に、快速トロッコ列車として、大分、由布院間を1往復、

そして、由布院、南由布間を5往復する、トロQ列車として営業運

転に就く姿であった。

 上りの快速トロッコ列車8872D列車は大分発9時23分、由

布院着10時52分。そして、下り快速8883D列車は、由布院

15時11分発、大分着16時51分と、上り列車の表定速度は2

8キロ、下り列車は25キロという、快速列車とは名ばかりの、今

のスピードの時代に背を向けるかの様な速度で、四季折々の季節の

中、由布院の休日を楽しむ人々乗せて、由布院、南由布間、普通列

車で4分のところを、8分という倍の時間をかけて、ゴトゴトゆっ

くりのんびりと走っていた。

 しかし、昭和39年登場のキハ58569は今年で45年、昭和

45年登場のキハ6536は、39年という年月が経過しており、

それぞれの老朽化により、平成21年11月29日の最終運行をも

って廃止されたのである。

 昨年の11月30日の営業運転をもって定期運用を終えた、0系

新幹線車両、そして、今年3月13日の最終運行で廃止された寝台

特急列車「富士」、9月30日で大分までの運用が無くなった717

系交流電車、そして、トロQという名前のトロッコ列車で活躍した、

車体の裾を絞った形が何ともカッコよかったキハ58系気動車、そ

して、車体前面に回りこんだ運転席のパノラミックウインドウと、

大出力エンジンが、新しい時代の到来を感じさせたキハ65系気動

車達の中で、大分車両センターに唯一最後まで現役として残った、

キハ58569とキハ6536の2両の気動車。そんな、昭和の香

りが残る思い出の車両達が、速さと快適さという時代の要求の中で、

次々と活躍の舞台から、その姿を消していった。 

 ハチロクがのんびりと牽いていた混合列車671列車が、由布の

里の里山の先に、可愛らしく響く汽笛と、煙を残して走り去る姿を

見送って、あれから何年の歳月が流れていったのであろうか。

 速さと快適さの時代の先に、限りなく遠くへ走り去って行く、昭

和の名車両達である。

 さようなら。キハ58569、キハ6536、そしてトロッコ列

車トロQ。君達の活躍した姿を決して忘れない。そして、君達が送

り届けてくれた多くの溢れる笑顔も。お疲れ様、ありがとう。

 

 

 

 

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晩秋・水分峠・濡れ落葉

平成21年11月12日撮影

 

 まだ蒸気機関車が現役の頃、九州山地を横断する久大本線の途中駅

由布院駅の3番線には、大分からの標高差約450メートルを、喘ぎ

喘ぎ登り来た蒸気機関車が、使い果たした水を補給するための給水塔

や、機関車の灰箱に溜まった石炭の燃え殻を捨てる場所があった。

 急勾配を登り来た上り列車は、ここで荒い息遣いを整え、久大本線

の最高地点である水分トンネルの中に位置する、海抜607メートル

のサミットまで、連続する1000分の25の急勾配に挑んでいたの

である。

 そんな、由布院、野矢間の水分峠の峠越えは、久大本線でも難所で

その11キロメートル程の間には、徳野、槐ヶ木、小ヶ倉、水分と4

箇所の連続するトンネルがあり、由布院の一六曲がりの家並みを過ぎ

ると、野矢駅までの峠路は殆ど人家を見ることも無く、列車は深い山

の中を黙々として進んでいく。

 峠路を喘ぎながら上り行く蒸気機関車にとって、長さが1.9キロ

メートル程ある水分トンネルは、トンネルを抜け出るまでに3分近く

を要する、蒸気機関車にとっては特に辛い任務の場所で、その蒸気機

関車の吐き出す排煙の充満するトンネルから抜け出すまでの間、乗客

は客車の窓を締め切っても、窓の隙間から入り込む煙の匂いを嗅ぎな

がら、そして、腕時計の秒針を気にしながら、息を潜めて長い沈黙の

3分間が過ぎ去るのを、喘ぐ蒸気機関車のドラフト音と、ゆっくり流

れ行くレールの継ぎ目の音を聴きながら、じっと静かに待っていたの

である。

 特に蒸気機関車の乗務員の方達にとっては、襲い来る煙と、ボイラ

ーの熱とで大変な任務の場所であったと思うが、そんな難所の水分峠

の峠越えも、今では、最新鋭の気動車達が苦も無く峠を越えて行く。

 そんな難所の水分峠の峠路も、この時期、山は木々の色付きで満た

される峠路でもある。この時期にしては珍しい昨日から降り続いた雨

も、小止み模様となったこの日の朝、峠路の木々の色付く様子撮ろう

と、野矢駅に程近い峠路の途中にある山里に向かった。

 濡れ落ち葉踏みしめ歩く早朝の山里は、蒸気機関車が活躍した時代

を懐かしむかの様に、雨上がりの曇り空の色模様の中で、近くを流れ

る野上川上流の川音と、落ち葉踏む音だけが聞え来る、散り行く落ち

葉にその身を委ねる、そぞろ寒した静かな朝の時間に支配されていた。

 紅葉の落ち葉に埋め尽くされた、柔らかな足元から伝わる晩秋は、

時折、遠くに鳴く寒犬の鳴き声に深められながら、この峠道で繰り広

げられたであろう、蒸気機関車達の奮闘する姿を思い浮かべる頃、日

田彦山線からの下り2番列車が、あの頃と変わらないであろう山里の

紅葉に色付く朝の峠路を、落ち葉巻き上げながら、エンジンの音も軽

やかに通り過ぎて行った。

 山里の色付く紅葉が、手のひらを飾る帰り道、耳を澄ませば、峠路

を上り行く蒸気機関車の汽笛が、遠くから聞えてくる様なそんな気の

する、静かな冬支度の始まるこの山里を、蒸気機関車の牽く列車が通

わなくなって39年目の、濡れ落ち葉に埋まる、深まる秋の静かな峠

路である。

 

 

 

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惜別・717系・秋惜しむ

平成21年11月5日撮影

 

 霜月の入り口は、続く暖かな秋の演目に慣らされた観客に、舞台

の袖で次の出番待つ冬役者達の、次に始まる冬場面の予告のお披露

目挨拶で始まった。しかし、先月の初め、そんな予告無しで変化す

る出来事があった。

 それは、10月の半ば頃であろうか、日豊本線の佐伯行きとして

は最終列車となる、大分駅午後11時2分発の列車が、一両編成に

なったという話を聞いたからである。しかも、車両の色は赤い色を

しているという。

 佐伯行きのこの時間に走る列車は、普段ならば白地に青いライン

の入った、鹿児島総合車両所に所属する2両編成の717系交流電

車が運用に就いており、全線電化されている日豊本線を走る一両編

成の赤い電車など無い筈だと思いながら、最新版の時刻表を調べて

みると、今まで717系が運用に就いていた時間帯の列車番号の後

に、気動車による運用を示すDの文字が付いていた。

 なんと、赤い一両編成の列車とは、電化されていない、豊肥、久

大の両本線で運用に就いている、キハ220形の気動車の事だった

のだ。しかも、10月1日から運用に就いているという。全線電化

されている日豊本線を、気動車が運用に就くという、謂わば、青天

の霹靂ともいうべき出来事であった。

 前々から老朽化著しい717系にとって、辛い任務の日豊本線の

宗太郎越えから外されるという話は、それとなくは聞いて知ってい

たのだが、まさか電化された鉄路の上を、電車ではなく気動車が定

期運用に就いて走るとは、思いもよらなかった事である。

 文化の日の3日は、由布、鶴見の山の頂は、初雪で白く雪化粧す

る、季節の演目が、次に控える冬季節の主役に変わる事を教える寒

い一日となった。しかし、その寒さも長続きすることもなく、昼間

は暖かくなったこの日、全線電化されている日豊本線で定期運用に

就く、赤い気動車撮ろうと、乙津川橋梁を訪れた。

 大分から鹿児島へ移籍して見られなくなった筈の、717系に再

会できたのは、今年3月13日を最後に廃止された、あの特急「富

士」を撮ろうと菜の花咲く杵築の築堤に出掛けた、平成20年の3

月の事であったと思い出しながら、深まる秋に染まる乙津川の川原

でカメラ構えて待っていると、717系が1631M列車で佐伯ま

で下っていった時と同じスジで走る、4531D列車、キハ220

の1502号が、宗太郎越えの新しい任務の場も任せてと謂わんば

かりに、凛々しい顔して乙津川橋梁を渡っていった。

 新しい任務の場所に就くキハ220形に頑張れと応援しながら、

この舞台で演じた717系の晴れ姿を思い出しながら、活躍する彼

らの姿を、もっともっと撮りたかったという思いと、その姿を、今

後は見ることが出来ない寂しさが、ジワジワと込み上げてきた。

 後、二日もすれば立冬。巡り来る季節の鉄路の舞台上で演じた、

主役達の静かな、静かな交代劇。

 また、一つ昭和の主役が、目の前の舞台の袖から一人静かに降

りていった。

 717系よ、また何時かどこかで、君達の元気な姿に会える日

を楽しみに、その日まで、「さようなら」、「お疲れ様」、そして、

「ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

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